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2026年9月7日

「データをつなぐ」から「価値をつなぐ」へ―デジタルエコシステムが切り拓く産業の未来―

JEITAデジタルエコシステム検討会 主査 入江直彦氏(日立製作所)

AI(人工知能)技術の急速な進展や、サプライチェーンの複雑化、地政学リスク、人手不足など、企業を取り巻く環境が大きく変化している。そこでは、もはや一社だけで最適化を図るには限界がある。そこで期待されているのが、企業や組織がデータ主権を保ちながら、安全かつ信頼性の高い形でデータを共有・活用する「データスペース」だ。このデータスペースの社会実装を促すためにJEITAは「JEITAデジタルエコシステム検討会」を立ち上げた。同検討会の主査を務める入江直彦氏は「ゴールはデータスペースという仕組みの実現ではない。新たな価値とビジネスを生み出すデジタルエコシステムだ」と語る。なぜ今、データスペースによる企業間データ連携が必要なのか、デジタルエコシステムの構築に向け日本はどのような形で社会実装を進めるべきなのか。技術者でありながら、産業全体の仕組みを描く“アーキテクト”でもある入江氏に聞いた。

一社だけでは解けない課題が増えている

――近年、「データスペース」という言葉を耳にする機会が増えてきました。なぜ今、注目されているのでしょうか。

入江直彦(以下、入江)

「データスペース」という言葉が国内で議論されるようになったのは、2022年から2023年ごろだったと思います。当初は「欧州で企業間データ連携の仕組みづくりが進んでいる」という紹介が中心でした。それが2024年から2025年にかけて、国内でも具体的なユースケースや実装が見え始めました。今は、コンセプトを説明し、試行する段階から、実際に社会へ広げていく段階へ移りつつあります。

背景にあるのは、企業を取り巻く環境の変化です。これまでは、各社が懸命に改善を重ねれば一定の競争力や収益性を維持できてきました。しかし、環境規制への対応や、サプライチェーンの混乱、地政学的なリスクなど、一社だけでは解決し切れない問題が急増しています。

例えばCO2排出量を減らす場合、自社工場だけを改善しても十分ではありません。原材料の調達から生産、物流、販売まで、サプライチェーン全体で取り組む必要があります。供給網が途切れれば、ある日突然、必要な材料や部品が手に入らなくなることもある。そうなると、経営課題以前に現場の生産そのものが止まりかねません。サプライチェーン上の企業がデータを共有し、状況を把握しながら対策を考える必要性が、はるかに高まっているのです。

加えて欧州では、巨大プラットフォーマーへのデータ集中に対する問題意識を背景に、個人や企業が自らのデータを管理する「データ主権」の考え方が重要視されています。データを守るだけでなく、主権を保ったまま企業間で活用し、産業の価値に変えていく。その基盤となるデータ連携の仕組みとして「データスペース」の整備が進められてきました。データスペースは、異なる国・業種・組織の間で、信頼性のある大量かつ多種多様なデータを連携するための標準化された仕組みです(『産業データスペースの構築に向けた第2次提言 概要』2025年5月、日本経済団体連合会より)。

日本でデータスペースの必要性が急速に高まっているのは、そうした欧州への追随だけではなく、現実の産業課題が、企業間連携を不可避なものにしているからです。

AIが「データの価値」を現場に認識させた

――データ連携の重要性は、IoT(モノのインターネット)やDX(デジタル変革)といった文脈でも、繰り返し強調されてきました。いままでと何が違うのでしょうか。

入江

日本では“現場の力”が非常に強い一方で、既存の仕事の進め方にITを合わせる傾向があります。それがデジタル化がなかなか進まない理由だとも言われてきました。これに対し海外ではトップダウンでシステムを導入し、現場を標準に合わせていく考え方が比較的強い。両者の違い自体は、現在も大きくは変わっていないと思います。

ただし、上述したように外部からのプレッシャーは明らかに強くなりました。環境規制や供給網のリスクに対応するためには、デジタル化を「した方がよい」のではなく「しなければ事業が回らない」状況になりつつあります。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックも大きな転機になりました。普段は起こらないような休業や供給停止が相次ぎ、データを共有して状況を把握し、関係者が一緒に対策を考えることの重要性を多くの現場が実感したのです。

もう一つ大きいのが生成AIの登場です。IoTやDXは現場からすると「結局、何をすればよいのか」が見えにくい面がありました。ところが生成AIは、現場の担当者自身が、手元のデータを対象に問いを投げかければ、結果がすぐに返ってくる。「このデータがあれば、こんな業務に使える」「別のデータも組み合わせたい」などと、データの価値を自分事として理解できるようになったのです。

AI技術がデータスペースを直接普及させるわけではありません。しかし、データを元に業務を変えられるという手応えを現場に与えたという意味で、データ活用の重要性への認識を一段引き上げたと思います。

「知っている相手」だけとの連携を越える

――従来の企業間データ連携と、データスペースが目指す連携は、どこが違うのでしょうか。

入江

これまでの企業間データ連携は、取引先など、互いに顔が見える範囲を対象にすることがほとんどでした。現在のデータスペースも実態としては、まだその範囲を大きく越えていないと思います。

しかし、参加企業が数百社から数万社、数十万社へと広がり、国内だけでなくグローバルにもつながるようになれば、これまで接点のなかった企業のデータを利用できる可能性が生まれます。自社が知らなかった技術や生産能力、物流余力などにアクセスできれば、見える世界は大きく変わるでしょう。

そのためには、ローカルなルールで個別につなぐのではなく、一定の標準や共通の仕組みに基づいて連携できることが重要です。データを提供する側が「誰に、何の目的で、どこまで使わせるのか」を管理できなければなりません。参加者が正当な企業であることを確認するトラスト(信頼)の仕組みも必要です。インターネットのように誰でも匿名で参加できる仕組みとは異なり、一定の参加条件や確認を設けることで、安心してデータを扱える環境を作ります。

――参加しやすさと信頼性は、トレードオフにもなりますね。

入江

そうですね。参加のハードルを極端に下げれば、なりすましなどのリスクが高まります。一方で、厳格すぎれば、環境整備への負担が相対的に大きい中小企業の参加が困難になります。データスペースが大きく広がるためには、信頼性を確保しながら、技術的・費用的な負担をできるだけ抑える設計が必要です。

基盤は整いつつある。次の課題は「使いたくなる理由」

――国内でのデータスペースの進展状況は、どうでしょうか。

入江

日本では、経済産業省が進める「ウラノス・エコシステム(Ouranos Ecosystem)」の下で、企業間データ連携の具体的な取り組みが始まっています。欧州電池規則への対応も考慮した、自動車・蓄電池のカーボンフットプリントおよびデューデリジェンスのデータを連携する取り組みや、製品含有化学物質に関する情報をサプライチェーン間で連携する「CMP(製品含有化学物質・資源循環情報プラットフォーム)」など、規制対応と実務負担の軽減を両立するユースケースが先行しています。

例えばCMPのメリットですが、製品にどんな化学物質が含まれているかを確認するために従来は、調達部門などが取引先に個別に問い合わせ、表計算シートに入力してもらい、メールでやり取りすることが多くありました。同じ企業が複数の取引先から似た問い合わせを受け、その都度回答することもあります。これがデータスペースなら、必要な情報を必要なときに取得できます。情報を提供する側も、一度正しく登録すれば、問い合わせのたびに同じ作業を繰り返す必要がありません。CMPでは、規制対応の確実性を高めながら、少なくとも約25%の効率化を実現できる可能性があると聞いています(コンソーシアム設立前のCMPタスクフォースにおけるアンケート結果)。

化学物質の情報連携が先行しているのは、業界共通のデータフォーマットが整備されていたからです。この例が示すのは、データスペースの普及には、技術基盤だけでなく、共通のデータ形式と、参加企業が明確に実感できるメリットが必要だということです。

――欧州では自動車業界を対象にした「Catena-X」などの取り組みが先行しています。日本は遅れているのでしょうか。

入江

ユースケースの数だけを見れば、欧州の方がはるかに多いと思います。政府が大きな投資を実施し、幅広い業界にデータスペースへの参加を促してきたからです。ただし、実際に運用され、参加企業が持続的に増える「スケール」の段階まで進んでいる事例は、欧州でもまだ限られています。

特に難しいのが、中小企業をどう巻き込むかです。大企業が取引先に参加を求めるだけでは、上流企業の負担が増え、かえって疲弊させてしまう恐れがあります。技術的な接続の簡素化や、費用負担の軽減、参加によって得られる価値の明確化など、複数の取り組みが必要です。この点では欧州も試行錯誤しており、日本だけが遅れているというよりも、世界全体が「どう広げるか」という次の課題に直面していると捉えています。

ドライブするのはテクノロジーではなくビジネス

――基盤が整えば、自然に利用が広がるわけではないということですね。

入江

はい。私は、データスペースをドライブするのはテクノロジーではなく、ビジネスだと思っています。技術基盤はかなり形になってきました。これから問われるのは、その上で「誰がどのような価値を提供するのか」「参加する企業にどんなメリットがあるのか」「運営に必要なお金をどう回すのか」ということです。

例えば、自動車の位置情報は、通常であれば積極的に公開したいものではありません。しかし配車サービスは、位置情報を使うことで乗客と運転者を結び、移動サービスとして対価を得られることを示すことで、データを公開する理由を生み出しました。企業のデータ連携も同じです。「この情報を提供すれば、こういう価値や収益につながる」という仕組みがあれば、データ提供への姿勢は変わるはずです。

データの利用者と提供者を結び、ガバナンスやデータ主権を守りながら価値へ変える存在が必要です。呼び方は「オーケストレーター」でも「オーガナイザー」でもよいのですが、エコシステム全体を設計し、参加者の役割と利益を調整する主体がいて初めて、持続的な事業になります。

――持続的な事業に向けて、公的な支援も必要でしょうか。

入江

公的な支援も、最初のきっかけとして非常に重要です。しかし、それだけではカンフル剤で終わってしまいます。エコシステムを持続させるには、継続的なマネーフローが必要です。その意味では、製造業やIT企業だけでなく、金融や投資の視点を持つ人にもデータスペースの議論に参加してほしいと思っています。エコシステムは、最終的には価値とお金の流れによってつながるからです。

JEITAが担うのは“使う側の声”を形にすること

――その中で、JEITAデジタルエコシステム検討会は、どのような役割を果たすのでしょうか。

入江

これまで国や産業界では、データスペースをどう立ち上げるか、どのような技術基盤や制度が必要かという議論が進められてきました。政策やアーキテクチャをトップダウンで整える段階です。

今後は、それを民間企業がどのように使い、現実のビジネスにしていくかが問われます。データスペースがあると「便利そうだ」という“ナイス・トゥ・ハブ”の段階から、企業にとって「なくてはならない」という“マスト・ハブ”へ持っていけるかどうか。そのためには、実際に使う企業が、どのような課題を解決したいのか、どのようなユースケースなら参加するのかを具体的に語らなければなりません。

JEITAには、製造業、IT・サービス企業など、多様な立場の企業が集まっています。経営層から現場まで、使う側の声を集め、事業性や運営モデルを議論し、必要であれば政策や制度にも反映していく。そこに検討会の大きな役割があると考えています。

――検討会で、特に取り組みたいことは何ですか。

入江

デジタルエコシステムをどう形成するか、その方法論を作りたいと思っています。どのような参加者を巻き込み、どのような順序で議論し、どこに価値とお金の流れを作れば、エコシステムが成長するのか。実は、まだ確立した方法論がありません。

既に動いている取り組みを母体にしながら、その周囲に新しい価値や参加者が集まり、ビジネスが回る状態を実際に作ってみたい。そして、そこで得た知見を、日本でエコシステムを形成するためのベストプラクティスとして整理したいと考えています。

大企業だけでなく、新しい取引先を開拓したい中小企業や、自社の技術・生産能力を既存のサプライチェーン以外でも生かしたい経営者にも参加していただきたいですね。自社の能力をデータで示し、これまで接点のなかった産業や企業ともつながれれば、中小企業の可能性も大きく広がります。自動車産業で培った技術が、ロボットや宇宙など別の分野で必要とされることもあるでしょう。データスペースは、企業が既存の取引関係を越えて、自らの強みを市場へ示す基盤にもなり得ます。

日本には“三方よし”のスケールモデルがある

――エコシステムを作るに当たり日本モデルを世界に提案することは可能でしょうか。

入江

私は可能だと思っています。データスペースは、参加者が増えるほど価値が高まる「ネットワーク効果」を生み出せる仕組みです。いまは、その形がようやく見え始め、どうスケールさせるかという勝負の段階に来ています。そこでは欧州も苦しんでいるだけに、日本モデルを作る余地があります。

日本には、売り手だけが利益を得るのではなく、買い手や社会も含めて良い状態を目指す“三方よし”の考え方があります。関係者の合意を重視するため、動き出すまでに時間がかかる面はあります。しかし、いったん共通認識ができれば、その輪を広げていく力もあります。

誰か一社がすべてを取るのではなく、データを出す企業、使う企業、基盤を運営する企業、社会のそれぞれに価値がある。その関係を設計できれば、日本らしいデジタルエコシステムの育て方になるのではないでしょうか。

そして、その形成プロセスを方法論として言語化することが重要です。日本の現場には優れた知恵や仕組みがあっても、体系化されないまま海外で整理され、逆輸入されることが少なくありません。今回は、日本で生まれたエコシステムの作り方を、日本自身の言葉で整理し、世界に発信できる形にしたいと思っています。

インタビューを終えて

データをつなぐ先に産業の新しい選択肢を

「データスペース」という言葉から多くの人が思い浮かべるのは、データシステムやデータ連携技術かもしれない。しかし入江氏が描くのは、より大きな産業の姿である。企業の中に眠るデータや能力を信頼できる形で外部とつなぐことで、これまで出会わなかった企業同士がデータを介してつながり新しい価値を生み出す。そこで問われるのは技術の優劣だけではない。参加者それぞれに利益があり、資金が継続的に回り、社会にも価値をもたらせる関係をどう設計するかが重要になる。

複雑化する課題を企業が一社で抱え込む時代から、互いの強みを持ち寄って解決する時代へ。データスペースは、その転換を支える基盤である。しかし真の目的は、その上に「価値をつなぐ」デジタルエコシステムを築き上げることだ。JEITAデジタルエコシステム検討会の挑戦は、技術基盤をつくるところから、産業が実際に使い成長する仕組みをつくる段階に進もうとしている。

(シニアエディター 志度昌宏)

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